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3月31日(木)未来

長女6年生の卒業式。被災した校舎を先生達が一生懸命に片付けてくれて、手作りの式を用意してくれました。この温ったかさは、卒業して行く子供達も、自分たち大人も、これから歩いて行くためのチカラをたっぷりくれました。先生達も地震の被害者です。一生忘れられない卒業式、本当にありがとうございました。そして、心から卒業おめでとう。長女の小学校入学を機に、地元の郡山に戻ってから、まる6年が経ちました。郡山の仲間や街にあたたかく迎えてもらって、あたたかく過ごせる毎日。返していかないと!! さ、明日も歩こお!!(一)

雲

3月30日(水)すこし雨が降りますた

ここに来て、また活発ではないかー、このぉぉ余震のヤツめぇぇえぇっ。 、、、と言ってたら余震、、、ぉぉぉ、、ナニかね、気にさわったかね。お、郡山は震度3、茨城が4と。報道ステーションを観ておりますが。さて、あきらめていた長女6年生の卒業式が、あす31日、校舎の廊下で小さく開かれることになりますた。ちゃんと母校で式をしてもらえる。幸せなことだよ。ちーと仕事をぬけ出して感極まって来ます。花粉は7割が舞い終わったそうです。もぉちっとですね。おやすみなさーい。(一)

3月29日(火)似なかったらどぉしよぉというプレッシャーの中

新潟の家でお世話になってる間、なにかお礼というか感謝のキモチというか、そんなことを表せないものかなぁと思い、住んでるみんなの似顔絵を描いたのです。中でもヒデキちゃん(30代)の顔、「ぁぁぁ直に目をあわせらんないわ」と奥ちゃまに低ぅい声で言われるほどに雰囲気バッチリに描けますて、でもなんか床屋のガラスに貼ってある、ヘアスタイル見本の男、みたいなニオイのする絵になりましたが、描いてる自分も途中から目を合わせ辛い思いになって来て、しかしご本人的にはまぁまぁ気に入ってくれた様だったので、携帯の待受にしても良いかもね、と言ったら、「どんだけ自分が好きなんだと思われるからヤだなアハハハハー」と言われたので、それはそうだ、と思いました。郡山からのお土産「たまご酒」が栄子さんに大評判だったので、郡山に戻ってすぐ、かとや酒店へ飛び再度調達、栄子さんに贈る事にしました。郡山、いい夕陽が3日連ちゃんで出ております。歩くずぉー。(一)

3月28日(月)キラんキラん

くらくら余震が続こうと、アイツが降りそそごうと、見あげれば今宵もいい星空が出ております。知ってか知らずか、キレイ。 先日、新潟から磐越道を通って帰ってくる時、タンクローリー車が、ジャンジャンびゅんびゅん、わが被災地方面に向かって走ってゆくではありませんか。何ん台も何ん台も。かっちょいいなぁぁ。こんんなにカッちょ良かったのかタンクローリーて。たのもしい。頼むぞぉぉおおあっ。地震が落着いた暁にはタンクローリーのプラモデル探してみよ。同級生数名から安否のメールが。ありがとさんっ。とにかくみな無事でよかったよ。さ、歩こお。(一)

 

3月27日(日)レッドは免れたんだが

「要注意」のイエローラベルの貼られた、須賀川の実家。の片付けを。ぁぁぁやられたなぁぁ...外壁がジャンジャン落ちてる。サッシが障子のレーンにズッポリ入り込んで、にっちもさっちも動かない。どんだけ揺れたのか。もう1度同じ揺れ方しないとハズれないよ、、 須賀川は古い街並を大切にして来たからかなのか、被害は予想以上に大きかった。小学生のころから馴染んで来たあの建物も取り壊されるらしい。ぁぁぁ..ん〜やしかし。須賀川らしさは、そうは簡単に消えたりしないのだ。 さ、歩こお。(一)

 

3月25日(金)

みなさん、今どうしていますか! 幸内は新潟から、郡山に戻りました。元気です、仕事してます! 新潟の皆さんに、一歩一歩を進んで行くためのチカラを、たっぷりもらいました。あふれそうです。本当にありがとうございました。さ、上と前を向いて、行きますっ!(一)

 

3月16日(水)◎無事です、そしてお知らせとお願いです◎

みなさんご無事でしょうか、こちら郡山は震源地から近いため被害がありますが、幸内家は家族ともとりあえず怪我なく無事、16日(水)より、新潟の親戚宅へ移動して過ごしておりまして、今やっとネット環境に(ただメールの受信は◎、返信ができません)。仲間からご心配のメールをいただいていた様で、大変心配おかけしました。通信がままならず、連絡できず申し訳ありませんでした。とりあえず、大丈夫です。尚、今いただいているお仕事は、こちら新潟でも進めております、まずは携帯とFAXでできるだけまめに連絡をさせていただきたいと思います。ご不便をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします。 一組 幸内 一

3月9日(水)'78年の宮城沖地震は墓地でミチクサってる時でした

友人が学習塾を始めることになって、めまぐるしい近況を聴くべく大好きなココスで明日ランチすることに。昨年、17年ぶりぐらいに再開したのに、きのうまで会ってたような打ち解け方。自分も結構色々あったと思ってたんだけど、その数倍いろいろあった様で、でも私より数倍元気。どんな事でもキュ!と前向きに方向を変えるパワーは、これ努力ももちろんだけど、そそがれた愛情の量と才能を感じずにはいられません。元気な人ってのは元気をあげて、元気になった人を見て元気をもらう。って、どのみち元気を増強してく訳なのですね。すごーい。きょうの地震、キモチわるくなかったですか。一瞬タテに揺れた気がしました。ヌーンと下がったというか。しかし予測されてる宮城沖の大地震とは関係ナイと学者さんが言ってますた。そぉかぁ。(一)

3月8日(火)須賀川城は伊達政宗にズコっとやられたのです

arukuの3月号が配布されておりますね。今回は表紙にお花畑の絵を描き加え、特集にもお花や空や街並みや、いつもよりチョコマカっと多めに描きますた。また「なんで女の子みたいな絵かけるんですかぁぁぁぁあああ???」と聞かれそうなので返事を用意しておくことにいたします。そう、須賀川の実家のすぐそばにある、古〜いお墓というか石碑というか、に急に興味がわいてきて、たしか天国へ行ったオヤジが、昔「須賀川の二階堂の殿様関係の墓って聞いたぞ」と言っていたのを思い出し、墓に書かれた文字を読もうと頑張ったんだけど風化しててボコボコで、で須賀川市立博物館へ、なんだかとりあえず行ってみたのです。この博物館は須賀川の原始の頃、縄文時代から室町から江戸からタタターっと現代までの情報がいろいろ集まっているので、なんか解るかなぁと思ったのです。で展示物を観ても何も解らなくて、ただ出土品やなんかに見入ってしまって、で思い切って、実家のそばの墓が何か調べたいのですが、的なことを博物館の人に聞いてみたのです。たら事務所の中に招かれ、色々資料を探しながら話を聞いてくれますた。須賀川は城下町なので石碑はかなり多い土地である事も知り、今度その墓の写真を撮ってまたお邪魔することになりますた。やぁぁしかし親切ではありませんか。ちーと解るまでがんばってみよかと思っとります。(一)

3月7日(月)どんなこと考えてるのかな

やぁぁぁ... ごぶさたしておりますた。いやぁぁごぶさたしておりますた。つのるお話は追々。PCの壁紙に、ネットでみつけてキュンときた写真が貼ってあって、たぶん自分が生まれる前の、昭和40年頃の写真。3才くらいの女の子がアイスキャンディーを食べてしゃがんでるモノクロの写真。なんだろぉ、きっと自分がこのころ遊んでいた女の子のだれかに似てるんかもしれないなぁ。キュンとくる。いやぁぁ..ごぶさたしておりますた。(一)

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